こんばんは〜〜〜
金曜日に不定期にアップさせていただいている、
「北海道弁講座」
その、ネタを提供していただいている、
「笑説 これが北海道弁だべさ」の著者さまから、
今日、コメントをいただいたんです。
帰宅後、それを読みながら、
ネットで調べて、
今まで、考え込んじゃっていました。
五段動詞の可能形、
「未然形+れる」についてです。
「話される」「行かれる」「聞かれる」「動かれる」…
「未然形+れる」(五段動詞の場合)、「未然形+られる」(上・下一段動詞)は、
可能・受身・尊敬・自発の意味を持つと、
高校の時、暗記させられました。
だから、
五段動詞「行く」の、
「熱が下がったから、明日は、学校に行かれるよ」という使い方は、
文法的に、正しい。
でも、可能動詞の、
「話せる」「行ける」「聞ける」「動ける」
の方が、ずっと幅を利かせていて、
可能の意味の「行かれる」には違和感を感じる人も多いらしい。
しかし、日本語の歴史で見ると、
「行かれる」の方が、古来の言い方で、
「行ける」は、江戸時代以降の言い方なのだそうです。
一方、「上・下一段動詞」は、
「未然形+られる」の形をとって、
「見られる」「着られる」「寝られる」「開けられる」…
こちらは、今でも、この活用が正しい形、と言われているけれど、
「見れる」「着れる」「寝れる」「開けれる」…
という「ラ抜き形」が、勢力を強めてきていて、
これについては、
「日本語の乱れだ」
「いや、可能形だと判別がつくから、こちらの方が優れている」
と、賛否両論がある。
と、考えてみると、
江戸時代の一時期、
可能動詞「動ける」「行ける」「聞ける」「動ける」
などの形は、
変な日本語で、日本語の乱れだ、と、
眉をひそめる人が多かった時代があったのかもしれない・・・
そして、今の子どもたちが孫を持つ頃には、
「見れる」「着れる」「寝れる」「開けれる」…
の形が、可能動詞としての正当な地位を獲得して、
「見られる」「着られる」「寝られる」「開けられる」…
は、
文法的には正しいけれど、
あまり聞かない耳に引っかかる言い方、と言われるようになるのかも…
なんて、
そんなことを考えていたのでした。
あ〜〜〜〜、
長くなっちゃった

きのういただいた拍手数・・・4

タグ:随想